VOL.1  三日町・三春屋跡地を公園に

中村豪邦(なかむらひでくに)
 1958年八戸市小中野に生まれる。大阪芸術大学環境計画学科卒業。現在、(有)中ペン塗装店に勤務のかたわら"まちづくり集団・ワークショップWith"を主宰し、まちづくり瓦版「ポラーノの広場」を5号まで発行。八戸地域社会研究会・八戸あしたの街委員会で街づくり運動をしている。「子供達が豊かな自分史を創っていけるような環境づくり」を目指している。
連絡先八戸市小中野5丁目1―15 TEL46―0455

 今号からこの誌上で、八戸という都市、をフィールドとして「八戸の将来像」などを考えていきたいと思います。私はまちづくりの専門家ではありませんが、環境計画を学んできた一市民として八戸が気になります。もっとこんな街であればいいのに!と。
 私は小中野町で生まれました。幼少の頃は(昭和30年代)は今と違って車は少なく、路地でカンけりやかくれんぼ、木登り、新井田川沿いでの遊び、夏は諏訪の田圃で昆虫採り、冬はスケート。旧商業高校近くの水車小屋での小魚捕り、駄菓子屋など、遊ぶことに不自由しないほど空間が残されていました。しかし新産業都市に指定されると同時に、年ごとに都市化の波は押し寄せ、田圃はみるみるうちに宅地へ変わり、遊ぶ空間も少なくなっていきました。こういう原体験の影響か、「公園・子供の遊び場・緑地の設計」を将来の仕事とするため大学は造園学を中心とした環境計画学科に進みました。
 高校卒業以来、ふるさと八戸をはなれて、東京・大阪・京都で暮らし、他にもいろいろな街を見て蛙(サケ)のように生まれた地へ帰ってきました。今思えば、八戸市を客観的に見ることができ、大学で学んだことから八戸の街やその都市計画を見るといろいろ気になることがあります。
 今、社会は専門化や分業化が進み、全体像が見えにくくなっています。また、八戸市の都市計画もどうしても土木系のハードな設計が目につきます。私は造園学・生態学を基本とする都市・地域計画を専攻しました。
 「造園=ランドスケープ」は字義通り、広く全体を見る眼が必要で、そして扱う材料も、土・水・石・木など生きている素材を使って環境を創ることです。生態学では、人間も自然の一員であるということのもとに、地球という器で、人間・植物・動物・水・土などが一つのシステムとして相互に依存し合い、ダイナミックに動いているということです。そして、例えば、「食物連鎖」に見られるような、植物に影響があれば、動物にも影響がでてきて人間にも影響を与えるような問題も起きてきます。
 だからそういう生物的な考え方で、八戸の"まちづくり論"を言っていかなくてはならな
いという使命感もないではありません。
 私から見た八戸は、まちづくりに素材を生かしていないし、デザイン面での工夫が足りないように思われます。新井田川・馬渕川といった流域を生活空間としてもっと大事にしたいし、市街地に緑が少ないのなら、周辺部の森林を保全していかなければなりません。種差海岸なども市民の共有財産として後世に残さなければなりません。何と言っても八戸の都市づくりには地域のアイデンティティがなく、どういう街を形成していくのかという哲学も欠如しているような気がします。
 現在、私は時間の合間をみて、まちづくり瓦版『ポラーノの広場』を発刊したり、「八戸百景」などの景観運動や子供たちへの環境づくりの運動にかかわっています。
 以前、私はある人からまちづくりにはオーケストラのコンダクターのような人が必要なのでそれをめざしてがんばりなさい、と言われたことがあります。しかし、私自身無力でコンダクターにはなれません。しかし、浅学ながら学んできた「ものの見方・考え方」でトータル的に見ることや自然に基本的な視点をおき、この八戸の街を住みよい魅力ある街にして後世に残してやりたいと思います。私の夢は「子供たちが豊かな自分史を形成していけるような環境を残し創ってゆくことです」。

市民が共有できるロマンでまちづくり
都市に必要な低密度空間

 まちづくりには、市民が共有できるロマンも必要です。
 今、盛んに中心街区を活性化しようと、十三日町では、電線の地中化に伴ないカラー舗装化・街路灯・街路樹・モニュメントなどの整備、三日町では街づくり協定などで魅力ある街をめざした事業が進められようとしています。しかし、何といっても三日町に残る約1000坪(3300平方メートル)の空き地、三春屋跡地の活用をどうするのかが注目されています。中心商店街側は三春屋跡地を街区の拠点となる半公共的な施設とすべきだと主張しており、一方、八戸商工会議所の上村常務は、人寄せの核となる施設を第三セクターで建設・運営する「街づくり会社」構想を示しています。そして、中里市長は、土地代だけで30億を超える跡地問題へは、直接的な行政の投資は不可能との考えを示しつつも、いろいろな研究をさせているようです。
 私は是非、跡地は建物ではなく公園にすべきだと考えます。公園に何十億という投資はできない、メリットがない―などと考える前に、その空間は金にはかえられない価値があるのです。財政的には無理でも長期的展望に立ち、10年計画で進めるくらいの覚悟を持てば可能かもしれません。
 なぜ、公園かというと、一言でいって憩いの湯と災害時の避難場所のためのオープンスペースとしてです。
 中心街区は、昼間人口密度は高く、建築密度も高くなっており、都市活動が活発です。これらが高いということは空き地や公園が少なく、落ちつきがない人工景観を呈しているといえます。それに、十勝沖地震のような地震・火災が発生した場合には、あの頃に比べ今の環境は建物・人ともに過密状態になっており危険です。都市が高密度になればなるほど低密度な空間も必要です。特に、七夕まつり・三社大祭などの行事には一時的に人々が集中します。
都市は本来、人や物が集まること集めることで成り立っています。しかし、集まるという原理だけで成立しているわけでもないのです。逆に精神的な面で、日常のわずらわしい人間関係から離れて一人ぼっちになりたいとか、長い人生や生きがいを考えるとか、子どもらの遊ぶ姿を見て過去を思い出すとか、語り合う場であるとか、そういう空間も必要です。
 このような意味からも低密度な空間―つまり、空き地に近い空間が重要であり、ある程度の広さをもち、その中で緑豊かに息づき、人々に親しまれるものを創らなければなりません。その残された唯一の空間が三春屋跡地なのです。中心街の一等地に公園を創るよりも、人を集める施設を創って儲けた方がよいという考え方もあるでしょう。しかし、21世紀に向けて発展してゆくためにも、この跡地の活用こそ、八戸の将来を決めるといっても過言ではないと思います。
 すべての人が憩える場、樹(花の果実)、滝(水の音)、池(水にふれる)など五感に感じさせるデザインにして、樹木は記念植樹で募集し・野鳥が住めるような森にするのもよかろう。また、子供達が水遊びでき、芝生でのんびりできるように、一角に野外小劇場を設けるのもいいでしょう。
 市内にある大きい公園は運動公園が主ですが、市民には運動しない人もいるのです。公園のあるべき姿は、誰でもが利用できて低密な空間であることなのです。
 ポートアイランド計画やポートルネッサンス21計画など壮大なプランがありますが、市民生活にもっと密着したロマンとして三春屋跡地を公園にすることを提唱します。

 どうかこの提言がきっかけとなり、市民一人一人がどうすれば住みよい街になるのか、考えや意見がどしどしでることを望みます。
 「わがまちはこんなまち」と胸を張れるように一歩一歩ゆっくり読者とともに歩んでゆきたいと思います。