VOL. 6 多様化する町の個性

 今春、大学時代から一度は訪れてみたい町の一つ、静岡県掛川市に行ってきた。
掛川市長の榛村純一氏の「まちづくり哲学に」に興味を持っていたこと、また山内一豊の城下町で、掛川城を復元し、その施工に青森県の五戸の大工さん達が参加しているという新聞記事を目にしていたから、尚更訪ねてみたいと思っていた。それにもう一つは、掛川市の新幹線の駅舎問題が、これからの八戸の新幹線駅舎に、少しは参考になるのではなかろうか?と内心思えたからである。
 掛川駅は、地元のお金で作った駅である。静岡・浜松の中間で、新幹線駅がなかったが、在来の東海道本線と併設可能な土地条件にあり、周辺市町村にも波及効果が及ぶなど、新駅誘致へ名乗りを上げた。しかし資金を全額地元で負担する覚悟がなければ、国鉄は見向きもしない状態であったが、地元でも負担をするということで、1984年、国鉄は総工費を116億6千万円と計算し、掛川市59億円、掛川市を除く近隣24市町村16億円、県30億円の分担を決めた。そして市は、わずか1万8千戸の市民に対して、25億円を目標に一戸10万円以上の寄付を訴え、それは一戸平均14万円にもなる目標額であり、そして募金は目標額を越えて、30億円近くになった。

 駅南口(新幹線の駅舎側)の広場には、若い女性のブロンズ像や巨大なモニュメントが木立や植え込みの緑の中に置かれてあった。また駅舎の擁壁には、掛川の川や山や波などの自然をテ−マとしたレリ−フが彫り込まれていた。一方、北口は駅舎が木造建築で、駅前広場は緑の木々が多い公園という感じで、バスや車が少ない状態であった。それはバス乗り場が広場の周りの道路にあり、またタクシ−乗り場も広場の片隅にあった。モニュメントの下の水辺では子供たちが水遊びをしており、今までの駅前広場というもののイメ−ジが全然感じられなかった。この北口から掛川城へ歩いて10分であるが、駅前商店街の街路や建物の整備には、歴史的なイメ−ジを抱かせる工夫があちこちに見られた。
 普通は人口10万以下の町だと、駅の改札口は橋上駅にして一か所にまとめたりしているが、掛川駅は南北に二つの出口を設け、地下道で結んでいる。そのため乗降客などが昇り降りする階段の段数が、橋上駅の半分ですんでいる。榛村市長は、「橋上駅は合理化のシンボルで嫌い」と語り、「駅は単なる乗降の場所ではない」語っている。
 榛村市長は、『掛川を生涯学習都市に』という公約を掲げて、1977年9月に初当選を果たした。「紅葉の美しいところは貧しく、緑豊かなところは不便、水清いところは住みにくいなどという矛盾は、明治以来の教育に負うところが大きい。明治以降、子供たちは常に親を乗り越える教育を受け、都に出てウダツを上げる教育が行われてきた。親を否定し、地域を否定する教育が徹底され、大都市の過密と山村の過疎を招いた」と榛村氏は言う。そしてこれに歯止めをかけるには、自分のおかれた土地と両親とに誇りを持たせる教育が大事だと考え、榛村氏は生涯学習にたどり着く。成人学級に縛りつけるのではなく、日々触れることを通して、そこに暮らすことが誇りに思えるように、人々の出会いの場や施設、産物の環境を整え、折りに触れる掛川のすべてを、生涯学習の教室にしている。それが10数年積み重ねられ、多くの実りがなされている。

 もうひとつ掛川市の例を上げてみると、東名高速道路掛川インタ−チェンジの料金ゲ−トが、城下町風のデザインである。インタ−チェンジの料金ゲ−トが全国画一の公団カラ−であり、それと違うということを知ったとき、やはり掛川市は「すごい」と正直思った。地域のカラ−を表したインタ−チェンジを作りたいと道路公団総裁に直談判して掛川市と公団の3年間の戦いが始まった。本来公団の標準設計では、屋根は平らなコンク−リ−ト製、掛川市の案は、左右に広がる切り妻式で、青い瓦を敷きつめた、武家屋敷風、照明は火の見やぐら風、料金事務所は城をイメ−ジした案であった。
 全国で約5百箇所の高速道インタ−チェンジは、すべて公団の標準方式に従って設計されており、掛川市のデザイン構想はなかなか受け入れられなかった。このインタ−は、掛川市側が設置を希望したため、総工費44億円のうち、公団負担は11億円、残る33億円は掛川市などの出資による、第三セクタ−「小笠山麓開発株式会社」と市が負担しており、掛川市の発言も無視できなかったことがあったようだ。
しかし公団側は「城下町風にしたいという気持ちは分かるが、インタ−チェンジが他と違う作りだと、気をとられて運転ミスを起こしかねない。地域性や文化性を組み込もうとすると建設費が高くつく。無駄ではないか」など、安全性や画一設計の利点を強調し、一方、榛村市長は「うるおいのある美しいインタ−を見れば、生きていて良かったという喜びが生まれる。そこから安全運転の気持ちが出てくる。一種、厳粛な気持ちになるインタ−を作ることは、絶対無駄ではない」と持論を語り、最後は公団のトップによる、実験的にやるということで決着がついた。榛村市長は、『自治体のやる気』が必要であり、また理論武装も必要とも語っている。

 このように地域の実情にそぐわない全国一律の画一的な施設が生まれる背景には、国が国庫補助金、許認可権、必置規制、機関委任事務などによって、地方のすみずみにまで支配の網を張りめぐらせており、地方公共団体にとっては、町づくりなど住民に身近な施策についても国の細部にわたる関与、指示を受けるため、事業の実施に自らの創意や知恵を生かす余地がないほど制約されているのが実情のようである。
   
 さて八戸の新幹線駅舎は、どんな駅舎になるのであろうか? 新幹線の駅舎のイメ−ジが全国共通な現在、八戸はどんなアイデア構想案を提出できるのであろうか。
駅舎の屋根が、八戸の魚市場の屋根のようであったり、壁面に縄文から未来へのモチ−フデザインを施したり、駅を市場と考えたり、東京駅のようにミニコンサ−トが開催されるようにするなど、あれやこれや空想することも楽しいことである。
 北東北の中心地八戸市、そして新幹線交通の拠点の八戸駅、そこには21世紀に向けて、もう一度「駅」というものを考えてみる必要があると思う。
 将来、地方に人々が集まるための地域づくりの視点は、どのようになるのであろうか。
 21世紀はマルチメディア社会とも言われている。「生活の利便性の向上」や「幅広い職業の選択」「文化的生活・余暇の充実」といったこれまでの地域が抱えてきた問題が解消されていく社会へ移行しようとしている。そのとき地域魅力の判断は、人各々の指向するライフスタイルの価値判断で選択されてくるであろう。人々の「あの町に住みたいは」という願望は、今まで以上に顕著になるかもしれない。だからこそ今後必要なのは、新たな観点や価値観である。
たとえば、遊園地などはテ−マパ−クに姿を変えている。海外ではテ−マレストランという施設も話題を集めている。長崎ハウステンボスや伊勢志摩スペイン村など各地でテ−マ性、ドラマ性のある施設が注目されている。
 そいう意味で、駅を考える時、テ−マ性またドラマ性を加味し、フォ−ラム性を加味する必要があるかもしれない。世界の駅は変容している事例を参考に、八戸の駅舎も考えられたらと思う。
 「人が、一番抱き合うのが駅です。その感動にふさわしい空間にしたい」というフランス国鉄チ−ムで『大西洋TGV』駅の設計を手がけた建築家の言葉を、八戸駅舎を検討する委員会の人にかみしめてもらいたいと思う。

手考足思−豪さんの雑感       
 画一化からの脱却、そして地域の個性。それに光があたる時代が、きっと到来すると思う。そうでなければ、やはりこの私たちが住んでいる空間・地域は無味乾燥で、何と悲しいことであろうか。
掛川市のように、八戸の行政マンにも今まで以上に頑張ってもらいたい。
ちょっと一言・・・三日町の三春屋駐車場の所に出現した、自動販売機の『壁』、私はあれを見てがっかりしました。それも八戸の中心街に、やはり変わっている『まち』なのかもしれません。
何のための自動販売機の壁なんでしょうか。理解に苦しみます。・・・・