VOL. 2 ロシア・ナホトカ・レポート そのA

5月2日(火)
 今朝もバ−ブシュカにド−ブラエ・ウ−トラとあいさつをかわして一日が始まった。朝食はマッシュポテト、貝柱とたまねぎのバタ−いため、パン、キュ−リ、トマトなど、朝からものすごい量で「ダバイ・ク−シェ」の世界だ。
今日はヒッポ・ナホトカグル−プとのピクニックだ。
 始めに砂浜が広がる海岸へ行った。すぐに娘たちが海で遊びたいというので一緒に楽しんでいると、セリョ−ジィアがロシア語でヒデクニ・・・と言い出した。ここの場所で遊んでいるのか、それとも次の場所へ行くのか決断を迫られているようだ。しかし私たちはここも良いが、次の場所も興味があり、行きたいという思いもあり、決断しかねていると英語も交えて話し始めた。そうこうしている間に、他のメンバ−たちは次の場所へと移動し始めた。セリョ−ジィアは頭を抱えおかしそうな顔をして後を追いかけた。
 幹線道路以外はどこもデコボコ道で、そこを平気で車は走って行く。小川も何のその。前方の車を見れば車の底を擦って走っている。
 話は変わるが、やはり日本車の車が多い。初日、そう言えば日本の会社の社名入りの〇〇商店や〇〇工業、またびっくりしたのは新潟の町の〇〇消防団のトラックも走っていた。一瞬すごい勢いで日本の会社はロシア極東まで進出しているんだなあと思いきや、乗っている人はみんなロシア人なので、変に安心した。
 さて到着したところは野原で、春にはまだ早いという感じで、木々には新緑が見られないかった。皆で昼食をいただきながら遊んだ。私は日本から持っていったシャボン玉で子供たちと遊んだが、中でもロシアの子供らは大喜びだった。セリョ−ジィアはダ−ツを持ってきており、これもまた子供も大人も大喜びで遊んだ。セリョ−ジィアが「ヒデクニ」と呼んだ。そしてロシア語で何かモ−リ(海)へこれから行かないか、それともここで遊んでいるかと聞いてきた。子供たちは海で遊びたいので、「ダァ−・ハラッショ」と言った。そしてとりあえず次の場所へということで車に乗り込んだ。私は最初の海岸へ戻るものと思っていたが、どんどん山へ向かって走って行く。確かに海といっていたが、全然海らしきものが見えない。モ−リは確か海と教えてもらったが違っていたのか・・。そうこうしているうちに峠に着いた。皆で車から降りて見た。セリョ−ジィアは地面を指さして鹿の糞や足跡だと教えてくれた。靄のため見えないが、遠くに海岸が見える。セリョ−ジィアはあそこに行くのだが、ラリ−サがこれから先の下り坂は怖いと言って行きたくないと言っている。ヒデクニは行きたいかと聞かれた。セリョ−ジィアの私たちを連れて行ってやりたいという気持ちも分かるし、ラリ−サが怖がっているのも分かる。また、あそこまで行って帰るのが遅くなり、待っているバ−ブシュカの心配する気持ちも分かる。私は思いきって「ニェ−ト・ニェ−ト」と言った。するとセリョ−ジィアは「ハラッショ」と言って歩きだし、今度は車からア−ブス(すいか)を持ってきて皆で食べた。何か中国産らしい。そこで少し遊んでバ−ブシュカの待つ家に向かった。夕食はチキンス−プ。ブリンチキン・フォアロワイェ−?〔チャ−ハンをクレ−プで巻いたようなもの。〕これがまた「フク−スナ−」だった。 今晩もだいぶ遅くまで楽しみ、スパコイノ−チ・ザアフトラ−(おやすみなさい。また明日)。一日一日ロシア語が増えていくのが分かる。

5月3日(水)
 今日の朝食は何だろうという楽しみがわいてくる。
セリョ−ジィアは午前中仕事なので、ラリ−サとアロ−ナとナホトカの町を散歩しながら、美術館見学とショピングを楽しんだ。小さな美術館には、絵画と石を張り合わせて作られた絵が展示されていた。
 ラリ−サは私たちを隣のお店に連れてき、何やら言っているうちに、妻には木製で漆塗のようなイヤリング、ブロ−チ、ブレスレットのセット、娘たちには竹で編んだ小さな靴のブロ−チ、私には木彫りの熊のペン立てをプレゼントとして買ってくれた。その後ゆっくりとナホトカの町を散策しながらバ−ブシュカの家に帰った。ラリ−サが勤めている音楽学校の見学までには、まだ時間があったのでのんびり休憩していた。
 セリョ−ジャアに「ヒデクニ・・・」と言われ、何やらちょっと出かけようというのだ。前から私はどうしても絵はがきがほしいということとお金を両替したいということを伝えているので連れて行ってくれるらしい。絵はがきは中々イメ−ジが伝わらない。郵便局で見せてもらったのも今思えば絵が書いてあった。私はカラ−写真の絵はがきをほしいということが頭から離れなかったのだ。しかし、ふとロシアには写真の絵はがきはないのだろうと思って、セリョ−ジャアに「ニェ−ト・ダァ−・ダァ−」と言って、銀行へ連れて行ってもらった。その後ナホトカ湾が一番きれいに見える高い所に連れて行ってもらい、二人で大笑いしながらいろいろな会話をした。本当に言葉があまり言えなくても、またロシア語が分からなくても、何か分かっちゃうというのが不思議だった。帰る途中セリョ−ジャアはレストランに寄り、17時にディナ−を予約してきたと言ってくれた。内心今晩はレストランでディナ−と喜びつつも、私たち家族に対していろいろ世話してくれて、胸がつまる思いで、本当に有り難かった。ラリ−サの勤める音楽学校へ行くと、受付のおばあさんの名前もアンナという。そう言えば子供らの名前を説明したとき、真理恵も杏奈もそれは日本の名前ではない、ロシアの名前だと盛んに笑いながら言っていたのを思い出した。そうだアンナ・カレ−ニナ・・・・。学校では少女合唱団の練習風景やバラライカなどの弦楽器の演奏、またバイオリン演奏の練習に立ち会うことができた。そして特別にバイオリンの先生とピアノの先生の二重奏を聞けたことは喜びだった。音楽学校を見学して、ロシアのバレエといい、底辺の広さとレベルの高さ、凄さを改めて痛感した。
 慌ただしく夕食先のレストランОльгаに向かった。この店は元船長さんが経営しており、ウェ−トレスの服装もマリンルックで、内装もかなり洒落ていた。ワインを飲み、パンを食べながら、まずは・蒸しイカと玉ねぎのマヨネ−ズ合え(とってもオ−チンフク−スナ−だった。イカ、八戸ヤポンスキ−・1、イカは大好きと何とか通じた。)・ペエリメ−ン(小さな蒸しギョ−ザでこれまたオ−チンフク−スナ−)・ココマリエ(貝、肉、玉ねぎなどのミ−トソ−ス合え)・蒸し魚本当に今日も楽しい一日を過ごしてしまった。

5月4日(木)
 今日はラリ−サの友達も交えて、バ−ベキュ−をするという。朝、ラリ−サはバ−ベキュ−などの準備のため忙しく、セリョ−ジャァはアロ−ナを連れて迎えに来てくれた。早速食事を済ませ、さあ出発だ。いつもそうであるが、行き先がはっきり分からないのだ。私たちはもう家族の一員で、4人とも赤ちゃんだ。どこへ行くのか内心楽しみであるが、不安でもある。友達と一緒ということで友達を迎えにいくのだろうなど、いろいろその言葉から想像してみる。すると何か日本の長屋のような所に到着した。車庫兼倉庫だ。そこには地下室があり、じゃがいもやビン詰の野菜など貯蔵しているみたいだ。ここでバ−ベキュ−の網や薪を積んで出発した。
 セリョ−ジィアが小高い山を指をさしている。何やら頂上に展望台がみえる。ここから見る景色も素晴らしく、この海の向こうは日本だ。そしてここは以前、要塞のようであり、ふと戦争の跡とも思われた。セリョ−ジャアは「ここには地下4階があって」など手ぶり身ぶりで教えてくれた。ナホトカの海岸線は、北海道の海岸線の風景そのものだ。その後人気もない海岸で、バ−ベキュ−を行うことになった。 そこへ二人のロシア人がやってきた。その一人が胸までゴム長靴を履いて海に入り、コンブ採りをはじめた。私は近づいていって、笑顔で「ズドラスビ−チェ」とあいさつを交わすと、笑顔で今採れたばかりのウニをくれた。私は八戸と同じ同じと思いつつ、スパシ−バ−と言い、やったぁと内心思った。
 セリョ−ジャアが車で友達を迎えにいったみたいだ。その間子供たちは海辺で思い思いに遊び、ラリ−サは鱈とニンジンやジャガイモなどでス−プを作り始めている。まるで鱈汁のようだ。
 そこへセリョ−ジャァが友達を連れてきてくれた。私は「ズドラスビ−チェ、ミャザブ、ヒデクニ、アッパファミリア、ナカムラ、オ−チンブリア−トナ−」と自己紹介すると笑顔で迎えてくれた。奥さんはラリ−サの一番の友人でイエナ(愛称イエラ)、夫はミハイユ(ミ−シャ)、一人息子のアレクセイユ(ロ−シャ)だ。イエラは東京に住んでいたことがあるが、日本語は話せなかった。しかし折り紙の鶴を作ってくれたり、五目並べ、だるまさんが転んだなどをして遊んだり、バ−ベキュ−を食べたり、夕方まで楽しんだ。

手考足思−豪さんの雑感
 あれから2ヶ月たってしまったが、今でも海の向こうのロシアの、セリョ−ジャア、ラリ−サ、アロ−ナなどが気がかりである。今どうしているのかなと思う。そしてまた会いたいとも思う。新聞でも今まで素通りしていたロシアの記事を読むようになった。そしてやはり国家の前に人と人の触れ合いが、前提にあることを強く感じる。7月の末には、今度我が家にアメリカからアメリアさんがやって来る。楽しみだ。